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東京高等裁判所 平成4年(ネ)3387号 判決 1994年7月19日

控訴人 笠井久義

右訴訟代理人弁護士 野上佳世子 野上恭道

被控訴人 笠井京子

同 笠井優子

右両名訴訟代理人弁護士 吉村駿一

主文

一  原判決を次のとおり変更する。

1  被控訴人らは、控訴人に対し、別紙物件目録一及び五から九までに記載の土地について、別紙登記目録記載の各所有権移転登記の抹消登記手続をせよ。

2  控訴人のそのほかの請求を棄却する。

二  訴訟費用は、第一、二審を通じてこれを二分し、その一を被控訴人らの、その残りを控訴人の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  控訴人

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人らは、控訴人に対し、別紙物件目録記載の土地について、別紙登記目録記載の各所有権移転登記の抹消登記手続をせよ。

3  訴訟費用は、第一、二審を通じ被控訴人らの負担とする。

二  被控訴人ら

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は、控訴人の負担とする。

第二当事者の主張

一  控訴人の請求原因

1  控訴人は、別紙物件目録記載の各土地(以下本件土地という。)を所有していた。

2  本件土地については、別紙登記目録一記載のように昭和六二年一二月七日、同年一一月二〇日の贈与を原因とする控訴人の長男笠井喜美への所有権移転登記がなされ、更に同人が平成二年一二月一一日死亡した後の平成三年二月一五日別紙登記目録二記載のように笠井喜美から同人の妻である被控訴人笠井京子、長女である被控訴人笠井優子へ相続を原因とする所有権移転登記がなされている。

3  しかし、控訴人は、笠井喜美への贈与をしたことはない。仮に贈与があったとすれば、後年笠井喜美が急死したりその相続人である被控訴人らが控訴人夫婦と別居し農業を継続しないことになったりして、控訴人夫婦を扶養せず困窮に陥らせるということはないものと誤信して、意思表示をしたものであり、贈与の意思表示には錯誤があるから、無効である。

4  また、仮に被控訴人らの主張する贈与があったとしても、本件土地は、農業を営む控訴人夫婦がその生活の基礎として耕作してきた農地であり、上記贈与に当たっては、受贈者が控訴人夫婦と同居して農業を継続し、控訴人夫婦を扶養し困窮に至らせないとの負担ないし条件が付けられていた。

5  ところが、被控訴人らは笠井喜美が死亡するやすぐに行き先も告げずに家を出てしまい、農業をしないことはもちろん、控訴人夫婦に生活費の援助も一切せず、控訴人夫婦が本件土地で農業を営み生計を維持していること、本件土地がなくなれば生活に困窮することを十分承知しながら、本件土地を他に処分しようとしている。

6  そこで、控訴人は、右負担である農業の継続及び同居による扶養義務の不履行を理由として、被控訴人らに対して平成五年四月二二日の口頭弁論期日に、前記贈与を解除する意思表示をした。

7  以上のとおり、いずれにしても本件所有権移転登記は実体に合致しないので、その登記の抹消登記手続を求める。

二  請求原因に対する被控訴人らの答弁・抗弁

1  請求原因1及び2の事実を認める。

2  笠井喜美は、昭和六二年一二月七日控訴人から本件土地の贈与を受けたものである。控訴人も笠井喜美も、後年笠井喜美が急死するなどのことは予想しなかったのであり、贈与の意思表示当時錯誤はなかった。

3  請求原因5の事実を争う。被控訴人京子は、夫である笠井喜美の死亡後も控訴人夫婦と同居して農業を継続していく考えでいたところ、控訴人は、笠井喜美の弟である控訴人の子らの入れ知恵で、被控訴人ら親子を家から追い出し、生活の本拠を奪ったものであり、控訴人に生活の援助をしないなどというのは事態が逆である。控訴人は、今でも本件土地を耕作しており、被控訴人らがこれを処分しようとしている事実はない。

第三証拠関係

本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりである。

理由

一  本件土地の贈与の有無及び本件訴訟に至る経過

証拠によれば、本件土地の贈与の有無及び本件訴訟に至る経過として、次の事実を認めることができる。

1  控訴人は、明治三八年の生まれで、昭和一九年頃本家から家屋敷と山林、さらに農地として本件土地の贈与を受けて分家独立し、妻のツルとともに、本件土地で養蚕、米、麦及び野菜を栽培して生活を立てていた者であり、妻との間に三男三女をもうけた(乙三、六、甲一ないし一〇、一八、控訴人の原審及び当審供述)。

2  昭和七年生まれの長男である笠井喜美は、昭和六二年当時五五歳になっていたが、成年に達した後も約三五年間両親である控訴人夫婦と同居し、妻である被控訴人京子(昭和一五年生まれ)と昭和三六年に結婚してからは、妻とともに控訴人の営む農業を助けながら、自らは左官として、妻の被控訴人京子はゴルフ場のキャディーとして働いて長年家計を支えてきたが、控訴人は、すでに次男である笠井昭治に対して土地約一五〇坪と家屋の建築代金を与えて独立させているのに、長男である笠井喜美には後述の田一筆のほかなんらの財産も与えておらず、このまま控訴人が死亡すると、笠井喜美が農業後継者となることも危ぶまれるので、笠井喜美は、控訴人に対して、控訴人の所有財産である土地のうち、農地である本件土地について、いわゆる農地の生前一括贈与をするように求め、贈与を受けた後も控訴人夫婦と同居して農業を助け、控訴人夫婦を扶養し困窮に至らせないとの条件のもとに、右の贈与について控訴人の承諾を得た。この贈与の当時、控訴人も笠井喜美も、笠井喜美が後記のように急死することは予想もせず、上記の贈与の条件が履行できるものと考えていた(乙九、被控訴人笠井京子の原審及び当審供述)。

3  そこで、笠井喜美は、控訴人から本件土地の権利書と控訴人の実印の交付を受け、知人である大武仁作に依頼して上記生前一括贈与につき農地法三条による農業委員会の許可申請を行い、昭和六二年一一月二〇日農業委員会の許可を受け、翌一二月七日前記大武に依頼して本件土地について、別紙登記目録一記載の贈与を原因とする所有権移転登記を申請して登記を得、更に翌六三年二月四日上記贈与について税務署に贈与税(税額四三〇万五一〇〇円)の申告をし、その納税猶予を得てこれを分割支払っていた(乙四、五、七、甲一ないし一〇、被控訴人笠井京子の原審及び当審供述)。

4  ところが、笠井喜美は、平成二年一二月一一日くも膜下出血により急死した。そして、その後右の贈与について笠井喜美の生前に知らされていなかった弟達が、贈与による笠井喜美への本件登記を知るようになり、これら弟達が控訴人の死後に相続できるものと期待していた財産がすべて笠井喜美の名義になっていることに不満を唱えるようになった。そして、これらの弟達の不満を当初おさえていた控訴人も、その圧力に負けて、被控訴人京子に対して、贈与を否定するようになった。そして、本家の者が両者の間に立って、調整を試みたが、笠井喜美の生前から人間関係がうまく行かなかった被控訴人京子と右の弟達の対立は解けず、これに影響されて、控訴人夫婦と被控訴人京子の関係も冷却していったのに加え、平成三年の正月ころには弟の一人が被控訴人京子のところに怒鳴りこんでくるということがあったため、ついに被控訴人京子は、笠井喜美の三五日忌がすんだ平成三年二月三日、長女である被控訴人優子をつれて、控訴人の家から出、肩書地に別居してキャディーをして暮らすようになった。その後は、控訴人夫婦と被控訴人らとの関係は、著しく悪化し、同居困難な対立した関係となっている(甲二二、控訴人及び被控訴人京子の原審及び当審供述)。

5  被控訴人京子は、農地である本件土地を第三者に賃貸することを希望し、農業委員会の許可を申請するなどしたので、当初控訴人の依頼により農作業を助けることとしていた本家の者も、被控訴人京子の立場を考慮して控訴人への助力を断った。そのため、控訴人は、人手を要する米の栽培をすることができず、畑の一部で野菜等の栽培をするだけとなっており、農業による収入は僅少なものとなり、年金収入(夫婦で年間七二万円)では生活に困窮するため(長年貯えた預貯金も、以前孫である被控訴人優子の結婚の支度として控訴人の屋敷の隣に家を新築するのに援助するなどしたため殆ど無くなっている。なお、この家も控訴人と被控訴人らの別居の影響を受けて無住の状態である。)、次男の笠井昭治の援助を受けて生活している。他方、被控訴人京子は、笠井喜美の生命保険金一五〇〇万円を受け取ったが、そのほかに、控訴人が笠井喜美の生前の昭和六二年に同人のために買い与え控訴人と喜美らで米や麦を栽培してきた前橋市清野町三八九番の田一三八二平方メートルを、平成四年三月一三日に第三者に売却している(甲一一、一二、一三の一から三まで、二一の一、二、二三、二四の一ないし五、二八、控訴人及び被控訴人京子の原審及び当審供述)。

以上のとおり認定することができ、これによれば、被控訴人らの主張する本件土地の贈与の事実を認めることができ、贈与の意思表示の時点でその意思表示に要素の錯誤があったとは認められない。したがって、贈与のないことあるいは贈与について控訴人に錯誤のあることを前提に、本件土地についてされた所有権移転登記の抹消を求める控訴人の請求は理由がない。

二  贈与の解除について

右一に認定したとおり、本件贈与については、控訴人と笠井喜美との間に、笠井喜美は、贈与を受けた後も控訴人夫婦と同居して農業を助け、控訴人夫婦を扶養し困窮に至らせないとの条件が付されていたものであり、本件贈与は民法五五三条の負担付贈与に当たるというべきであるが、この贈与に付された負担は、贈与者である控訴人夫婦と長年にわたり共同生活を営み、かつ、受贈者である笠井喜美の相続人として本件土地の所有権を継承する立場にある被控訴人らについても、その性質上拘束力があるものと解される。

ところが、笠井喜美の急死により、前記のように被控訴人らが控訴人夫婦と同居して農業を助け控訴人夫婦を扶養するとの右負担は履行されなくなった。その発端は、笠井喜美への贈与を不満とする同人の弟達と被控訴人京子との対立、更には控訴人が右弟達の圧力に負けて贈与を否定するに至ったことにあり、笠井家の中で孤立した被控訴人らが控訴人の家を出て農業に従事しなくなったことをすべて被控訴人らの責任であるとすることはできない。しかし、他方、本件土地は、農業を家業とする笠井家を支える家産ともいうべきもので、本件贈与後も控訴人の存命中は同人が中心となって従前どおりこれを耕作していくことが予定されていたものであり、老齢の控訴人夫婦の生活は本件土地を農地として利用することにより成り立っていることを考えると、控訴人家から離れた被控訴人らが、控訴人夫婦の生活や立場に配慮することなく、前記一5認定のように本件土地を第三者に賃貸しようとし、あるいは従前から控訴人と耕作してきた田を処分したりして控訴人夫婦の生活を困窮に至らせたことは、自らの生活の防衛のためもあるとはいえ、いささか過剰な行動であるといわざるを得ない(被控訴人京子は、当審において控訴人の家に戻り農業を継続したいと供述するものの、その行動自体は農業の継続を目的とするものとはなっていない。)。このように、被控訴人らにも一半の責任のある行動により、前記の贈与に付された負担は履行されなくなったのであり、当事者間の深刻な対立関係に照らせば、改めてその履行の催告を経ることは無意味であるから、控訴人が本訴においてした贈与の解除の意思表示は、その効力を生じたものといわねばならない。

しかし、翻って考えてみると、本件の贈与がなされるに至るまでには、前記認定のように、被控訴人京子を含めて笠井喜美の家族による長年にわたる家業への貢献があったのであり、本件の贈与は、このような貢献に対する報償の趣旨が含まれていることは否定できず、また、笠井喜美への贈与とはいえ、それは被控訴人京子や被控訴人優子を含めて、笠井喜美の家族の生活を維持することをも目的としており、笠井喜美の急死によってそのような家族の生活維持の必要は減少しないどころかむしろ増大しているといわねばならない。このように本件贈与に含まれている趣旨・目的を考慮にいれると、前記のような贈与の負担が履行されない場合でも、その原因が被控訴人らのみの責任に帰すべきであるとはいえない本件のような場合には、贈与契約を全面的に解除することを認めるのは相当ではなく、解除の効力が生じるのは、贈与物が負担の履行に利用されるべき範囲を限度として、双方の今後の生活を考慮にいれて決定すべきものと考えられる。

このような観点で検討すると、証拠(甲二九、三〇の一ないし三、三一の一ないし八、三二、三三)によれば、次の土地についてはそれぞれ括弧内の事情が認められ、控訴人の耕作による収入確保の観点から必要最小限の農地であることが認められる。

ア  別紙物件目録一、五、六の畑 合計一二三六平方メートル(一団の畑であり、控訴人が芋類及び豆類を耕作し、一部は売却して生活の足しにしてきた。)

イ  別紙物件目録七の田 一〇八二平方メートル(被控訴人らの前記清野町三八九番の田一三八二平方メートルの売却後唯一残っている田であり、米栽培のため必要な土地である。)

ウ  別紙物件目録八、九の畑 合計七五九平方メートル(控訴人の屋敷続きの畑であり、人参、ごぼう、大根、ほうれん草など多種類の作物を栽培し、一部は売却して生活の足しにしてきた。)

他方、次の土地は、必ずしも控訴人の耕作上必要ではなく、農業上の収入は少ないが、利用次第では、被控訴人らの生活上大いに助けとなる土地である。

エ  別紙物件目録二から四までの畑合計六二七平方メートル(一団の土地であり、宅地化しやすい。)

オ  別紙物件目録一〇の土地 四七九平方メートル(桑畑として利用してきたが、控訴人が養蚕をする見込みはなく、宅地化しやすい土地である。)

以上によれば、控訴人の前記の贈与の解除は、右のア、イ及びウの土地について効力を生じたが、右のエ及びオの土地については、効力を生じなかったものと判断するのが相当である。

三  結論

以上の次第であるから、控訴人の抹消登記の請求は、別紙物件目録一及び五から九までに記載の土地について認容すべきであるが、そのほかの土地についての請求は棄却するべきである。

そこで、控訴人の請求をすべて棄却した原判決を変更することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 佐藤繁 裁判官 淺生重機 裁判官 杉山正士)

別紙 物件目録

一、前橋市池端町字西耕地南ノ割六〇四番壱

畑 七壱六平方メートル

二、同字 六〇四番参

畑 八〇平方メートル

三、同字 六〇四番五

畑 参〇四平方メートル

四、同字 六〇四番九

畑 弐四参平方メートル

五、同字 六〇四番壱壱

畑 六壱平方メートル

六、同字 六〇四番壱参

畑 四五九平方メートル

七、前橋市清野町参七参番壱

田 壱〇八弐平方メートル

八、同町 字鍜冶屋参九五番壱

畑 五壱参平方メートル

九、同字 参九五番参

畑 弐四六平方メートル

一〇、前橋市清野町四〇六番

畑 四七九平方メートル

別紙 登記目録

一 前橋地方法務局昭和六二年一二月七日受付第四二一三八号

笠井喜美

二 右同局平成三年二月一五日受付第五三六五号

笠井京子持分二分の一

笠井優子持分二分の一

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